あれから1年

taka_fan2012-03-11

久しぶりの更新になります。

インフルエンザで苦しみ、さらにインフルエンザから来る感染性の胃腸炎にも苦しめられ、この1ヶ月間、いや、年明けから様々なことが起こり、苦行を強いられておりました。 

昨年までの私は、ただがむしゃらに動き、まだまだ自分は若いと過信していたのです。

やはり、歳相応の動きをしなければいけないなと、今更ながら実感しているのです。


今日は震災から1年という節目の日です。

ちょうど1年前のあの日は、事務所を休み、花粉症治療のため、病院へ向かうバスに乗ろうとしていた矢先に地震が襲ってきました。強烈な揺れに恐怖を感じながら、パチンコ店から逃げ出した人々を横目に、帰宅し、落下したものを片付けながらテレビのニュースに釘付けになってました。 事務所との連絡、東北の友人たちの安否確認に追われ、時々襲ってくる余震に怯えておりました。深夜、帰宅難民となっていた友人を励まし続け、友人が無事帰宅できたことを知って、3時過ぎようやく眠りに就くことができたのです。

翌日目が覚め、テレビから伝えられる目を覆いたくなるような状況に、言葉を失い、落胆し、さらに追い討ちをかけるように、原発の様子が伝えられ.....これらの現実に、夢も希望も見出せないような、そんな感じになりました。

震災直後は、交通機関が麻痺状態になり、物資にも事欠く事態にも陥りましたけど、でも、まだまだ被災地の方々に比べたら、我々は恵まれているのだと言い聞かせ、緊急募金活動を精力的に行っておりました。

6月に入り、ようやく岩沼に入ることができました。

仙台の中心部は復旧工事が進み、だんだん元の姿に戻っている様子が窺えましたが、名取や岩沼などの沿岸部は、3.11から時が止まってしまったのではないかと思うくらいの、荒れ果てた状態でした。

その後、昨年末でしたが、再び岩沼を訪れ、市民の皆さんの「生の声」を聞く機会に恵まれました。

目の前でお母さんが津波にのまれてしまった方、阿武隈川の河口付近で津波にさらわれた人々の絶叫を耳にしても、どうしてあげることもできなかった、そして今でもその絶叫が耳から離れないという方.....現地にいなければ決して耳にすることがなかった「現実」がそこにありました。

岩沼市、特に沿岸部は、集団移転も決まり、これから具体的な動きになってくると思います。しかし、そこでも行政側と住民の方々との温度差があります。そして、住民の方同士でも温度差があるのです。 まだまだ道のりは厳しいのかな、そんな印象です。 

まだまだ書きたいことはたくさんありますが、最後にこれだけ書いておきます。

津波によって壊滅的な打撃を受け、さらには原発の影響もあり、完全復旧の目途すら立っていない常磐線

常磐線が完全復旧をしたときこそ、復興を遂げたと言えるの時なのかもしれません。