長崎の旅③

taka_fan2008-04-18

 雨続きだった長崎も、この日は晴れました。^^街を歩く前に、長崎の方言について書いてみたいと思います。 手元にある「九州方言考」(読売新聞社刊)という本を参考にしますが、元々長崎は城下町ではないため、歴史と言葉が南蛮(ポルトガル)に対する開港と同時に始まったといういきさつがあります。  その昔、地元の大村、島原、平戸、五島各藩の商人と博多、大阪、京都、江戸など、諸国の商人で構成した港町長崎ですから、諸藩諸国の人々の言葉が入り交じり、方言の坩堝だったと考えて良いと思います。その後諸藩諸国の方言が次第に融合され、ちょっと垢抜けした独自の長崎方言というものが形成されたのではないかと考えられます。 さらに、鎖国時代はオランダ人と中国人が街中にいたので、オランダと中国、そしてポルトガルの影響も残っていたため、それらの言語も融合され、独特の長崎言葉というものが確立されたのだと思います。 昔「おちかさんのごたる」という言葉を聞いたことがあり、どんな意味なのかなと思ったら、きんきらに着飾った女性をそう呼ぶそうです。”おちかさん”というのは、その昔、子供用の簪を頭にたくさん挿し、破れ三味線で門付けをしていた女性の名前だったそうで、”ごたる”は「〜のようだ」ですから、標準語にすると「派手な女のようだね」ということになりますね。 その他、”あおもち”という言葉がありますが、これは愛人・情婦(夫)という意味です。 一節によれば、遊郭の入口にあおもち屋があったので、いつしかそう呼ばれるようになったと言われております。 長崎の方言についてはまた機会があったら書いてみたいと思います。